周りに比べて僕だけ運が悪い気がする・・・
- 周りの人はみんな運がいいのに、なぜ私は運が悪いの?
- 運が悪いことが連続して起きてイライラする
- 運が悪いことはたくさん起きるのに、運がいいことは何一つ起きてくれない
このように感じたことはありませんでしょうか?
「運が悪いな」と思う出来事が起きた時は、嫌な気持ちになりますし、時には怒りが込み上げてきますよね。
しかしなぜ「運が悪い」出来事が起こってしまうのでしょうか?
運が悪い出来事が起きている原因というのがあるのであれば対処することができるはずです。
ですので今回は、運が悪い人がやってしまっている「運が悪くなる行動」についてご紹介したいと思います。
では、早速ですが本題に入っていきたいと思います。
不運を悔いる
なので運がいい人と悪い人の違いというのは「思い込み」の違いなのです。
例
例えば、仕事や遊びの帰りに交通事故に巻き込まれて骨折してしまった場合、運が悪い人は
- なんで自分が巻き込まれなければいけなかったの?
- 痛いし、病院に行かなければいけないし、最悪入院しないといけないし最悪
このように考えます。
一方で運がいい人というのは
- まだ骨折した部位が利き手じゃないから良かった
- 初めて骨折したけれど、どんな痛みかを知れて新しい発見をできた
このように考えるのです。
そもそも交通事故に巻き込まれたりした時点で不運では?
そのように考えてしまうのであれば”不運を悔いる”という特徴が当てはまっている可能性が高いです。
自分の身に起きてしまった不運なことは、過去のことですのでどうにもなりません。
つまり、運がいい人というのは不運なことに対するメンタルコントロールが非常に上手なのです。
反対に運が悪い人というのは、不運なことが起きると、その不運を使ってさらに運を悪くする、つまり自分のメンタルを落とすのです。
なので運が悪いというのは思い込みから来ているものかも知れないので、不運に対して捉え方を変えて考えてみるといいでしょう。
待てない
いい出来事が起こるまでは時間もかかりますし努力しなければいけません。
かといって努力したところで報われるとも限らないのですが、運が悪い人はコツコツとした努力で結果を得ようとするのではなくて、手っ取り早く手に入れようとし、短期的な目標ばかり追うのです。
例
例えば、数ヶ月後に友達と海に行く予定を立てたけれど自分の体型に自信がないから痩せようと考えていたとします。
この場合は、海に行く日までに痩せるというのが長期的な目標になりますが、運が悪い人はこのような長期的な目標を追おうとしないのです。
もし目の前に大好きな甘い食べ物があったとします。
しかし痩せるためには食べない方がいいのですが、運が悪い人は食べてしまいます。
つまりどういうことかと言いますと、痩せるという短期間で効果が得ることができないような長期的な目標は、努力が必要ですが結果が実れば大きくいい方向に自分自身が変わります。
反対に甘い食べ物を食べるという行為は簡単にできますし、簡単に幸せを満たしてくれますが、痩せるという点においては邪魔になってしまいます。
なので運を良くしたいのであれば、すぐに結果が出ないようなことでも諦めずに努力して継続するということをしてみるといいでしょう。
いい結果が出るのが待てないからといって、色々なところに思考が分散するのは良くないのです。
続けられない
成功者は、成功がいつ来るのかがわからないので、常に継続して同じパフォーマンスを維持するのです。
ずっと継続してきたことがあったとしても、結果が出ないからといってやめてしまいますと、その時点でその分野での成功確率は無くなってしまいます。
しかし、いつ成功するのかがわからないということを理解して続けることができれば、少なくとも成功する可能性はあるのです。
なので結果ばかりを求めず、成功したいのであれば続けていきましょう。
やたら緊張しやすい
当たり前ですが、緊張することは悪いことがありませんが、やたらと緊張しやすいのは良くないのです。
なぜかと言いますと、運がいいと思い込んでいる人はストレスレベルが低かったり、緊張しづらいということがわかっているのです。
なのでやたらと緊張しやすくて、パニックになってしまうような人は、リラックスができておらず、ストレスレベルも高くなってしまい、運が悪くなってしまうのです。
もし自分自身のことをやたらと緊張しやすいと思うのであれば、リラックスできるようなメンタルテクニックやストレスケアの方法を学ぶといいでしょう。
他人と比べる
この特徴は、運が悪い人の特徴と言うよりも、運が良くても不幸になってしまう人の特徴です。
人間は幸運でも不幸でも、他人と比べれば比べるほど自分が不幸になるということがわかっているのです。
例
例えば、あなたが月収100万円ほど稼いでいたとしましょう。
一般的には月収100万円ですと非常に多いですが、大金持ちの人と比べてしまうと天と地の差があります。
運が良かったとしてもこのように上の人と比べてしまうと、自分が惨めに感じたり、もっと努力しなければいけないと感じてしまい、本当は十分稼いでいるのに幸せを感じれなくなってしまうのです。
反対に、自分よりも下の人と比べると「自分はあの人よりかはマシだ」というように安心感を得ることができますが、成長がなくなってしまうのです。
では、そもそも不運な人が他人と比べてしまうと、そうなるのですか?
自分よりも上の人と比べてしまいますと、最悪の場合うつ傾向になってしまったりしますし、だからと言って下の人と比べてしまうと、本当は大丈夫ではないのに「まだ大丈夫」というように考えてしまい、ずっと不運から抜け出せなくなってしまうのです。
なので他人と比べるという行為は、運が良くても悪くてもやってはいけない行為なのです。
他人と比べてしまうという癖がある人は、他人と比べるのではなく、自分の過去と今を比べてみて自分の成長を見極めるということをやるといいでしょう。
運は存在するのか?
運の良し悪しは、人だけではなく、一つの行為にも言えることです。
サッカーでボールがポストに当たったとき、解説者はよく「ストライカーは運が悪かった」と言います。
私たちは、ある行為がラッキーかどうかを議論することがあります。
周りは、あなたのホームランはラッキーだったと言うかもしれません。
しかしあなたは「運ではなく技術だ」と答えるかもしれません。
このような話は賢明なのでしょうか?
運というものは本当にあるのでしょうか?
どの分野においても上手い人と下手な人がいるように、運が良い人とそうでない人がいるのでしょうか?
運は存在しない
それは質量のような性質でもなければ、物体でもありません。
むしろ、運について語ることは、物事が簡単に起こったかもしれない方法について語ることなのです。
この考え方は、誰も運を持っていないことを意味します。
私たちは、誰かに対して「運がいい」と言うことはできません。
運が存在するのは、量子力学のある解釈が正しい場合、つまり因果関係が「決定論的」でない場合に限られると指摘されることがあります。
物理学的に決定論が成り立つのであれば、宇宙とその法則について十分な知識を持っている人であれば、発生するすべての事象は(原理的に)完全に予測可能です。
もし、不確定性物理学が真実であれば、そのような予測可能性は不可能です。
つまり、どれだけ多くのことを知っていても、起こるすべての出来事を原理的にも予測することはできないのです。
量子力学のどの解釈が正しいかはわかりませんが、あるものが幸運であるかどうかを決めるために、その議論に決着をつける必要があるとは思えません。
晴れた日に雷に打たれた人は不運で、ロトに当たった人は幸運だというのは、当然のことのように思えます。
研究者は運をどのように理解しているかというと、その人にとって何かが幸運(または不運)であると思うのは、次の2つの条件が当てはまる場合です。
2つ目の条件については少し説明が必要です。
何かが簡単に起こらなかったかもしれないというのは、直前の状況を考えれば、その出来事は起こらなかったかもしれないということです。
これは、「出来事の再現」という観点から考えることができます。
ビリヤード台をもう一度用意して、あなたにショットを撮り直してもらえば、あなたのショットが運なのか技なのかを知ることができます。
2回は運がいいかもしれませんが、10回連続で運がいいということはまずありません。
もし、(ほぼ)同じショットを試すたびに沈めることができれば、それは運ではなく技術であると認めざるを得ません。
しかし、それが二度とできないのであれば、一度目は運が良かったということになります。
同じように、雷に打たれた人が不運だったと言えるのは、もし同じような状況に再び置かれたとしても、(おそらく)雷には打たれないだろうという事実がある場合です。
逆に、この辺りでは雷が多発していて、外に出れば必ず当たるというのであれば、その人は運が悪かったとは言えないでしょう。
もちろん、雷が2回落ちるように、2回運がいいことも悪いこともあります。
しかし、2回以上運がいい人は、運のいい人ではありません。
過去の運は、将来の運を期待する理由にはなりません。
しかし、「運がいい」「運が悪い」と言える方法が1つあります。
ある出来事を、ほぼ同じ状況下で起こると予想されることと比較するのではなく、その人の状況や特徴を、ある集団にとって統計的に正常なものと比較するのです。
このような尺度を用いて、重度の障害を持って生まれた人は不運で、裕福な家庭に生まれた人は幸運であると言うことができるのです。
このような比較をする場合、どのような集団が該当するのでしょうか?
文脈や目的によっても変わってきます。ある目的のためには、より狭い範囲のグループが関連するかもしれませんし、ある目的のためにはより広い範囲のグループが関連するかもしれません。
そのため、同じ人でも運がいい人と悪い人がいると言えるかもしれません。
例
例えば、現代の日本人が、自分のせいではないのに仕事を失ったとします。
他の現代日本人と比較して、彼女は不運だと言えるかもしれません。
しかし、人類全体と比較すると、自分で食事や住居を確保できるのであれば、彼女は幸運かもしれません。
例えば、飛行機に乗り遅れて別の飛行機に乗り、その飛行機が墜落したとします。
飛行機に乗り遅れて別の飛行機に乗り、その飛行機が墜落した場合、先に乗った飛行機に簡単に乗れたかもしれないのに、墜落事故に巻き込まれた彼女は不運である。
しかし、もし彼女が唯一の生存者であれば、他の全員が死んだことを考えると、彼女は幸運かもしれません。
だからこそ、肋骨3本と両足を骨折した人に対して、「運がいい」と言えるのです。
このように、文脈に敏感で相対化された考え方は、出来事の運にも当てはまります。
同じ出来事でも、その人にとって幸運なこともあれば不運なこともあります。
おすすめの本
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